夏のお盆の時期に船を出さない、という漁師は少なからずいるらしい。
Hさんもそういう考えを持っている一人だ。
しかし、数年前にどうしても断りきれずに出船してしまったことがあったという。
その日は長年のつき合いがあるAさんとその友達を連れて、夜半からお盆の海に乗り出したそうだ。
数時間かけて何カ所かのポイントを回ってみるが、どうにも魚が釣れる気配がない。
しばらくはお酒を飲みながらのんびりとやっていたAさん一行も、そのうち「どこかいいところに着いたら教えて」と言ってキャビンの中へ入り仮眠を取り始めてしまった。
暫くの後、少し良さげなポイントを見つけたので停船し、魚群探知機を覗いたときに不自然な音が耳に飛び込んできた。
波やエンジン音とは違った、ピンと張った高音が波の向こうで鳴っている。
何の音かと思い耳を澄ましていると、音は次第に船へと近づいてきた。
その音は、仏事で使われるようなお鈴の音だった。
やはりこんな日に船を出すんじゃなかった。後悔するHさんを後目に音はどんどんと船へとめがけて接近してくる。
ついには目の前ほどの距離で音が鳴り響き、船の周囲を旋回し始めたのだという。
海に似つかわしくない金属音が船の周りを旋回しているその時は、生きた心地がしなかったそうだ。
たまりかねたHさんは操舵室から飛び出すと、Aさんのクーラーボックスへとむしゃぶりついた。
中にあったワンカップの蓋を開けるとすぐに口へと含み、じっと息を殺す。
リーン、リーンという音はその後も船の周囲をしつこく徘徊し、いつしか沖へと遠ざかっていった。
ようやく人心地着いたHさんは口中の酒を飲み下し、普段吸わない煙草を一本だけ吹かした後、高いびきのAさん達には無断で陸へ向かった。
それ以来、なにがあっても盆には海へ出ないと誓ったそうだ。
炉辺談話
この話を聞かせてくれたHさんは、普段はタバコはやらないそうだ。
それでも船内に準備していたのは、こういう時の厄払いの為だったそうで、実際に使用したのは初めてだったという。